創業60年〜みついし昆布の歴史
創業期(1950年代)
創業者、磯貝軍治は元々、北海道の日高支庁管内で獲れるスケソウダラや生タラコを東京・築地に卸す仲買いを手広く商っていました。しかし年々漁が減り、本人自身、三石漁協の組合員として昆布漁をしていたために、1957年、みついし昆布(株)を創業。
通常、昆布流通の大半は、各漁協から北海道漁連に集められ、ここで共販入札され商社や加工業者へと卸されていきます。しかし、黄色や茶色に変色して店頭に並ぶ昆布や、それが高値で取引されていることを嫌い、みついし漁協から直に仕入れて加工、直接販売した他、口コミで広がった全国からの個人注文を受けて発送する事業を開始しました。
「だし昆布」から「みついし昆布」へ(1970年代)
自らも前浜で漁をし、「漁も加工もする生産者」としてのこだわりが、当時石油パニックの最中に取扱品を再検討していた生活クラブ生協様の目にとまりました。加工食品から食品添加物の排除を求める生活クラブ組合員の活動が、化学調味料に頼らないで「だしをとる」調理技術を基本とした生活文化を問う活動として進められ、79年当社との取引が開始。販売政策上「日高昆布」として販売されていたものを、より産地を明確にするため「みついし昆布」とネーミングします。良質の昆布が、よりたくさんの消費者に届けられるようになりました。
女性3人でのスタート(1990年代)
90年、創業者 磯貝軍治が急逝。昆布漁や取引は「男の仕事」といわれるほど、封建的な風土が残る業界でした。しかしその世界に「昆布を使う食生活や味覚を伝えたい」という創業者の遺志を受け継ぎ、悩んだ末、妻と娘二人の女性3名で会社経営をしていくことを決断します。
創業者の「長いものが昆布というこだわり」から、女性ならではの視点を活かしたライフスタイルを読み取った商品開発へ方針転換を決意。その第一弾が「みついしきざみ昆布」でした。だしの用途だけではなく、手軽に食べられる乾物として、現在まで愛され続けています。
そして現在・失いたくない日本の文化
昆布などだしを取る食材は、縁の下の力持ちのような存在。しかしそれがなければ味覚という土台が揺らいでしまいます。だしのうま味がわかる味覚は、失いたくない日本の文化。当社では、全従業員が女性であり、従業員教育に茶道を取り入れるなど、本質から日本文化に触れる機会を設けています。
創業から60年、骨の髄から日本文化が吹き込まれた「みついし昆布」は、これからもその「いのち」を脈々と吹き込んでまいります。